疲労の反対語は?

「疲労」の反対語はと問えば「休養」と答える人が少なからずいるが、 

「疲労」の反対語は「元気」「活力」とする記事がありました。 


 「活力」というとわたしはついAV監督の村西とおるを思い出します。

 私も勿論アダルトビデオなるものを見たことはありますが、彼には全く興味がなくて今までずっとスルーでした。  


 ところが昨年彼の語録なるものに目を魅かれました。


 >なぜ興奮するのかっていうと、死ぬから。 

>なぜ性欲があるかっていったら、死ぬから。

 >なぜ欲しいかっていうと、死ぬから。

 >なぜ女を美しいと思うかというと、死ぬから。 

>死がなければ何も感動もしないし、何も思わないよ。以下略 


 AV監督兼俳優、前科七犯、借金50億を返済。決して褒められた人生じゃないんでしょうけど、彼の言葉には私にはない活力ととても大事に生きているという感じがしてなりません。


 以前病院のブログでも書いたと思いますが、若いスタッフと話していると、随分と疲れる仕事なので休みの日はゆっくりごろごろして過ごしているという話をよく聞いていたのですが、疲れたからと動かないで疲れがとれるわけはありません。


 疲労と言うのは乳酸そのほか疲労物質が体の中に蓄積されるから疲れるわけです。その疲労物質を取り除こうとするのなら代謝を促すしかない。代謝を促すにはある程度体を動かすしかないわけです。 


 休みの日に疲れを取ろうと思えば最低でも散歩の1時間もしなければ代謝促進にはなりません。

 仮にそれで疲れがとれたとしても、「疲労が癒える」が即「活力がわく」にはなりません。 


 いろいろと考えていると元気になろうでも、健康でいようでも、長生きしようでもそれ自体が「目的」ではなくて、もっと別に目的があったほうがいいような気がします。


 元気で○○したいとか、長生きして◇●したいとか、健康で▽▲したいとか。

 そうして「○○したい」の部分にはもっと個人的な欲求があっていいんじゃないかと思えるんです。

例えばもと美味しいもの食べたいだとか。そうすることで活力がわいてくるような。

 

 フロイト的に考えるとそんなもんじゃないんでしょうか。