オリンピック①

先日までのパリオリンピック。沢山の方が生で録画で応援されていたことと思います。

わたしも夜更かしこそしませんでしたが、競技に興味あるなしにかかわらず、出来るだけ応援していました。

リオだったか、東京の時だったか(それとも北京だったかな)、あるビジネスマンが体を極限まで鍛えることに意味があるのかと否定的な意見を言っているのを耳にしたことがあります。

アスリート自身には実利があるが、観る者には感動と興奮以外に実利などないではないかとかそんな意見だったように思います。


私は右ひざを痛めてしまって、歩くのにはさほど支障はないのですが、痛みのせいで走るのは非常に厳しい。

いざという時、走れないのはまずいなとは思うのですが、押し寄せる津波や迫る火の手といった状況に陥ったら従容と受け入れるしかないのかと考えている次第です。


「走る」に限らず運動能力は危機回避能力の一つでもあるわけです。


人間いつ何時どの様な状況に陥るかわからないだけに、運動能力をわずかでも引き上げると危険を回避する可能性も上がるわけです。


オリンピアンは世界の頂点を目指す人たちですが、誰もが限られた時間、限られた予算の中で最大限効率的なトレーニングをしているはずです。


その彼らのトレーニング方法を私たちのような才能のない人にちょっとでも取り入れることは「より速く、 より高く、 より強く」なれる可能性があるということです。


ここ数年これからの季節小学生向けに運動会のための塾があちこちで開かれるようになっています。ホンのちょっとのトレーニングで。人によっては見違えるように速くなるらしいので、結構人気だと聞きました。


トレーニング方法を取り入れるだけでも実利はあるようです。


大原健幸の郷